連載

「島を支える」①~支援事業スタートから半年~

小笠原まで困難を極める海上1千㌔輸送

 「離島ガソリン流通コスト支援事業」がスタートして半年――。 離島のガソリンや軽油の価格は確実に値下がりし、島で生活する人々からは歓迎されている。離島振興のためにも「これからもずっと制度を続けてほしい」という声は圧倒的で、国もこうした要望を受けて予算措置する方針だ。 一方で、値下げに関係する事務作業を一手に引き受けている"裏方"であるSSや各県石商にとって大きな負担になっていることも事実だ。離島補助をめぐる現状を4回にわたって報告する。  

ガソリン・ドラム缶の積み込み
ガソリン・ドラム缶の積み込み

 晴れ上がった秋空をバックにライトブルーの船体が東京・月島埠頭の岸壁を静かに離れた。小笠原の島に石油を運ぶ長い航海が始まった――。
 貨物船・第二十八共勝丸は月に3回、月島埠頭を出港する。ここでは危険物の積み込み作業ができないために、いったん江東区有明の10号地埠頭に接岸する。そこで約1時間かけてガソリンや灯・軽油、A重油を積み込み、太平洋をひたすら南へ進む。
 東京都の都心部から約1千㌔。小笠原諸島(小笠原村)は、太平洋の広大な海域に散在する大小30余りの島々からなる。この島にとって、ガソリンや軽油は文字通り、島を支える基幹エネルギーだ。石油製品を含め生活物資を運んでいるのは共勝丸だけ。島民の暮らしになくてはならない存在だ。小笠原の父島には出航のたびに3回、母島には月1回程度の割合で、あらゆる生活物資を運んでいる。
 海上輸送は困難を極める。途中、立ち寄れる港がないため、大時化(しけ)の中でも小笠原まで突き進まなければならない。津田章船長は「航海中は常に神経を張り詰め、すり減らしながらの航海です」という。
 月島埠頭を出港してから4日後、やっと父島に着く。船からはガソリンを始め生活物資が次々にクレーンで荷卸しされ、乗組員の大きな声が飛び交い、港中に活気があふれる。
 運航しているのは、船名と同じ名を持つ会社「共勝丸」(津田洋孝社長)。東日本大震災の被災地・宮城県石巻市に本社を置く。
 津田船長以下、船員は全員、被災地・石巻の出身。3月11日、石巻を襲った地震・津波に巻き込まれ、先代社長の津田司郎氏が亡くなったほか、船員の親類縁者や友人にも犠牲者が多数出た。
 家族は無事だったものの、自宅が被災した人もいた。震災発生から7ヵ月が過ぎ、被災地ではようやく復興の足がかりを見せ始めているが、津波被害が甚大だった石巻は依然、震災の爪あとがあちらこちらに残っている。おそらく、社員全員が辛い思いに耐えながら黙々と船を運航しているのだ。
 東京営業所の森田裕一所長は「船員一人が欠けただけでも船は動かせない。津田船長以下、船員は無理を承知で震災後も運航を続けている。万が一、船が止まり、石油製品をはじめとした物資が滞れば、小笠原島民の生活は成り立たないから」と言う。
 厳しく、長い、航海……。海の男たちを支えているのは、島民の“命と暮らしを守る”という使命感だ。